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目次
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イタリアにおいてのマンドリン作品が作曲された時代の世界的な音楽の趨勢についての一考察
イタリアにおけるマンドリン作品の多くは19世紀後半から20世紀前半に書かれたものです。このころの世界の音楽の趨勢とはどのようなものだったのでしょうか? ここではイタリアという狭い地域に限定せず、マクロ的な視野で当時の音楽の流れについて述べてみたいと思います。 (小林 由直) |
200年の時空(とき)を超えて"meets"第5回演奏会パンフレットに掲載された寄稿を転載。
マンドリン作品を演奏する時、特に外国作品ではその作品の作曲年代や文化的背景に配慮されることが少ないと思います。今回で5年目の"meets"のメンバーには、作曲された時代に注意し、その時代背景や文化的背景に思いを巡らせながら演奏するようにお話しました。 ("meets"音楽監督 小林 由直) |
"meets"第6回演奏会にあたって"meets"第6回演奏会前のメッセージとして当HP「コンサート情報」に掲載したものを転載。 1996年に初めての演奏会を開いて以来、"meets"の演奏会も今年で6回目になりました。メンバーも次第に広い範囲から集まってくるようになり、今年の演奏会では名古屋周辺、三重はもちろん、京都、大阪、神戸、茨城、そして大分からのメンバーも参加しております。彼らの中には以前に私の作品の演奏などを通じて何らかの接点のあった方も多く、しばらく消息が分からず何年も経って再び巡り会った方もみえます。彼らが社会人になってもずっと音楽を続けている、その原動力の片隅にでも私の作品があるのなら、こんな幸せなことはありません。また今回の演奏プログラムを見て、弾いてみたいとという熱い気持ちで初めて参加された方もみえます。これもまた嬉しいことです。こうした沢山のメンバー一人一人のことを想うとき、改めて人との「出会い(meet)」のすばらしさと不思議さを感じます。 私は第1回から演奏の指導に関わってきましたが、昨年から音楽監督に就任させていただき、よりはっきりとした形で演奏への関わりを持つと同時に、今年はピアノ伴奏、指揮と舞台に上がることになってしまいました。私の今回の指揮は16年ぶりということになります。「音の世界を楽譜に封印する作曲者と、楽譜からこの世に音を解き放つ指揮者は正反対の立場であり、それぞれの立場においてより優れた感覚を持った人が仕事をするべきだ」という思いから、いったんは指揮を止めた経緯があり、今回の演奏会で再び指揮をすることには自分の中で躊躇するものがありました。それにも拘わらず指揮をお受けすることに踏み切った最大の原因は、「KOBAYASHIの指揮でKOBAYASHIの作品を演奏してみたい」という奏者の熱い思いであります。ピアノ伴奏は、これからマンドリンのソロを真剣に勉強していこうとしている北田さんへの応援のつもりです。 毎年、力強く成長している"meets"の音。熱いハートを持つメンバーによる熱い音。その熱気は「夢の魅惑」や「グランドシャコンヌ」をも覆い尽くすでしょう。第3部では、自作自演はもちろん、尊敬する友人でもある吉水秀徳氏の作品を演奏させていただきます。どうか沢山の方々にご来場いただき、"meets"の熱い演奏に触れていただきたいと思います。 ("meets"音楽監督 小林 由直) |
モチーフへのこだわり ~今も昔も~"meets"第6回演奏会パンフレットに掲載された寄稿を転載。
本日演奏する「望郷」と「風の舞曲」の共通点は「限られたモチーフへのこだわり」であろうか。両者ともにモチーフ(=動機)を基本にして、それを部分的に切ったり、貼ったり、上下を逆さまにしたり、音の並びを逆にしたりして作られたさまざまな音の動きが作品の中にふんだんに織り込まれている。誰が聴いてもすぐに分かるものもあるし、スコアの中で注意深く探さないと分からないものもある。とくに前者では、使用しているモチーフが一つであり、楽曲としての緊張感が高い。後者は2つのモチーフを持ち、これを中心に据えながら比較的自由な音の扱いも混じり、緊張度は緩められている。1つのモチーフを様々に利用する方法はバッハのフーガなどでは当たり前に見られるし、12音技法も同様の手法を基礎にしている。しかし、いわゆる今日の音楽(コンテンポラリー)で使用される自由で多彩な手法にくらべると、少々地味で新しさのない手法かもしれない。なぜ、自分はいつまで経ってもこれにこだわるのだろうか。 (小林 由直) |
第7回演奏会に寄せて"meets"第7回演奏会前のメッセージとして当HP「コンサート情報」に掲載したものを転載。 今回の選曲に当たっては、多くの作品がノミネートされましたが、今までに造り上げてきた"meets"の特性をさらに伸ばすための作品と、"meets"が今まで扱ったことのない新しい音楽性に挑戦する作品の両方から選曲を行いました。
まず、マンドリン発祥の地であるイタリアの作品からヴィヴァルディの「トランペット協奏曲」とシルヴェストリの「夏の庭」を取り上げました。 以上のような選曲で、今まで勉強してきたことはさらに積み上げ、一方で今までに経験したことのない新しい音楽とも出会う。一人一人のメンバーが1年間自分を高めた結果、充実した演奏会が開ければ嬉しいと思います。 (音楽監督 小林由直) |
「良い作品」と「受ける作品」の違い"meets"第7回演奏会パンフレットに掲載された寄稿を転載。 私は今までいろいろな演奏家や演奏団体のために作品を提供して来ました。その作品の中には、今でも繰り返し演奏されるものもあれば、初演された後に全く再演されないものもあります。そこで気付くのは「良い作品」と思ったものが必ずしも「受ける作品」ではなかったということです。 たった1度しか演奏されなかったものが必ずしも「駄作」であったとは思いませんし、繰り返し演奏される物が自分にとっての「快作」であるとは限りません。再演されない物にはむしろ新しい試みを取り入れたものが多く、時間をかけて作ったものが多く含まれています。中にはその試みが未成熟であったため自ら再演を凍結した作品もありますが、聴衆には難解で「受けなかった」ために日の目を浴びてこなかったものも多くあります。
広く受け入れられることを第1の目的として作品を書くことは、聴衆に対する「妥協」や「媚び」を優先させ、「芸術性・独創性」といったモノ作りとしての「誇り」を後退させてしまう危険性があります。「己の魂を売ってまで聴衆に媚びる」といわれるのはモノ作りの端くれとしては耐えがたいものです。しかしその対極として、自己表現のみを突き詰める事も勇気のいることです。たとえそれが「希代の名作」であったとしても、誰かに見い出され評価されないことには永遠に忘れ去られてしまう可能性があるからです。 (音楽監督 小林由直) |