Coffee Break

提供:帰山栄治作品解説集
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「序曲」の裏曲目紹介

本演奏会の初頭を飾るのは帰山栄治氏の「序曲」である。今回はコントラバスのパフォーマンスが入る平成版でお送りさせていただく。パフォーマンスを行うT 田氏は、カエリヤマの聖地であるみゃー大の出身であり、「歴史的序曲」の1~5をすべて演奏するという「カエリヤマ・ストレート・フラッシュ」を達成した、シニア・カエリヤマニストである。しかし「グランド・カエリヤマスター」への道は依然として遠い。同じくみゃー大出身のK野氏のマンドローネとともに本家の低音部隊を結成し、○○○に響く魂の告白を聴かせることであろう。

本曲は1972年、名古屋大学ギターマンドリンクラブ第15回定演にて初演された、氏の初期の代表作である。この曲にも共通して流れる氏の初期の (あるいは今も)作品の中核思想=パート間の人間疎外の憂鬱の中で「低音パートの持つ宿命的な淋しさ」をしっかりと見つめ、いかにして打楽器の存在として生き抜くか=という問題は本曲において最も色濃く映し出されている。

曲は不安げな低音の刻みによって開始され、セロによって提示される主題はフーガ風に導入される。音色や雰囲気ともにベートーヴェンの弦楽四重奏曲第 14番やバルトークの弦楽四重奏曲第4番に比することもできるかもしれない。この導入ですべてが表現されていると言っても良い。すなわち、低音リズムにみられる「うろたえに空威張り」、セロの旋律の「不安と混沌」などである。したがってマンドラの導入で音が聴こえないのも、もちろん「萎縮と無謀」を表現したものである。そして、ギターのタンボーラが不気味に響くが、リハーサルで叩きすぎて指を痛めたため、本番叩くことのできなかった大馬鹿者が存在するのもこの部分である。

その後、徐々に盛り上がりをはじめ、圧倒的なアレグロへと突入する。ここで1stマンドリンが暴走するのも70年代の時代の表現を見事に捕らえたものといえよう。しかし残念ながら再帰するアレグロで暴走を聴くことができないのは、すでにそのような時代が過ぎてしまったことを意味するのであろうか?ともあれコンコルディアのカエリヤマ演奏史にまた一つ何かが刻み込まれたのであった。

(コンコルディアのホームページより許可を得て転載)

華燭の思い出

昔話です。
大学卒業後、就職・配属先が愛知県一宮にある電気メーカー。
気がつけば、稲沢にお住まいの帰山先生宅まで車で15分。
そんなわけで何回か遊びに行かせていただきました。
実家の家業に戻った後、クラブの後輩と結婚することになりました。
以下、その時の話です。

1985年5月5日私達は静岡で結婚式を挙げた。
その披露宴に帰山さん出席してくれた。スピーチもしていただいた。
もちろんクラブ内結婚なので、マンドリン合奏をということになり、帰山さんの指揮で、華燭の祭典をやっていただいた。指揮のことは、当日お願いしたのに、快く引き受けてくださった。(今考えてみると、相変わらずの恐いもの知らず)

その時のこと、
「帰山先生、これ華燭の祭典のスコアです。」
と差し出す私に、
「私を誰だと思っているのですか。」
とニヤリと笑われた。事態を飲み込むまで数秒かかった私は、あっと気がついてスコアを引っ込めた。
「失礼しました!」

もちろんスコアなしで振って下さった。う~ん、やっぱりすごいですね。
私達夫婦はおとなしく座って聞いているだけ・・・
帰山さんの指揮で弾きたかったなあ。とささやく2人。
でも、とっても、HAPPYでした。

(神戸大学マンドリンクラブOBの静岡の成瀬)

三楽章第三番のティンパニソロ

第16回定演における,三楽章第3番初演にまつわる楽屋落ちです.

この曲には大変珍しいティンパニ・ソロがありますが,ティンパニと合わせる機会がリハーサルを含めて数回しかありませんでした.
指揮者とティンパニ奏者の息が合わず,かなり不安視されていましたが,案の定,本番中にトラブルが発生しました.

指揮者など眼中になく熱演するティンパニですが,一体何をやっているのかさっぱり分らなくなり,指揮者のタクトも虚空をさまよい始めました.
誰もが「これは止まるかもしれない」と感じていました.

ティンパニ・ソロの次はベースのパートソロです.
当時2年生でベースを弾いていた私は,隣のパートリーダーに合わせて入る決心をし,リーダーと指揮者を半分ずつ視野に入れました.
リーダーは首を振りながらひたすら拍数を数えています.

(余談ですが,ベース弾きは指揮者や他のパートを信用しない傾向にあり,何十小節休みがあろうと楽器の裏で指を折って数えています.)

指揮者が哀れっぽい目でこちらを見て,リーダーがアルコで予備を取ったのを合図に飛び込みました.
驚いたことに,ほぼ完璧に頭がそろってパートソロに入り,何ごとも無かったかのように演奏が続けられました.

演奏中は,どこをやっているか分らなかったのは自分だけかと思っていましたが,結局,リーダーも含めて誰一人分っていませんでした.
パート全員がリーダーに合わせることだけを考え,リーダーもそれを感じてわざと大きなモーションで入ったのです.

後でレコードを聞くとティンパニとベースがかぶっていましたが,途中で止まるという醜態だけは避けることができました. めでたし,めでたし.

この曲は後に改作されたようですが,あのティンパニ・ソロは健在でしょうか.

(花井)

改作後でもあのティンパニ・ソロは健在です。 余談ですが、ローネ奏者も指揮者や他のパートを信用しない傾向にあり、「ゆらぎの彼方」の初演時などは、ひな壇の上で堂々とパートリーダーと休符の数を打ち合わせしている姿をビデオにしっかり撮られてしまいました。

(私信) 在学中はいろいろとご心配おかけしました。今ではまともな会社でまじめに働いています。>花井先生

(粂内)

Ouverture Historiqueの読み方

今となっては「歴史的序曲」が正式に認められていない呼び方である事は有名ですが、その噂を聞いた時、当時の指揮者と「Ouverture Historique No. 4」のスコアを持って氏のところに正式な読み方を伺いに行きました。

帰山先生はしばし考え、おもむろに
「ウーヴェルチュール イストリーク だいよんばん

なぜ最後だけ日本語? (^^;


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