マンドリンオーケストラの為の三楽章第4番
編成 | 演奏時間 |
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Solo Violin Mn1 Mn2 Ma Mc Ml Gt Cb シンセサイザー スタンドシンバル トライアングル グロッケン シロホン 木魚 | 34分 |
演奏日時 | 備考 | 演奏団体 |
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1987.12.13 | 初演 | 名大30回定演 |
1991.7.4 | コンコルディア19回定演 | |
1992.1.16 | 名大34回定演 | |
2011.6.25 | コンコルディア39回定演 |
本曲は、1987年に、名古屋大学ギターマンドリンクラブの委嘱により作曲された。1973年の三楽章第三番以来、久々の三楽章シリーズの曲である。
様々な試みを経て円熟味を増した氏の作風が、本曲には遺憾なく盛り込まれている。すなわち、「Ouverture Historique No. 4」によって確立された重厚な音の積み重ねやリズムの面白さと、「まわき」によって試みられた物悲しく緩やかなメロディ主体の曲調が高い次元で有機的に結合された曲と言えよう。とりわけ第三楽章は、端的に氏の新しい作風を示すものである。
第3番までの「三楽章」は、古典的な交響曲同様、急-緩-急のオーソドックスな組み合わせであった。しかし、この第4 番では第三楽章がきわめて遅くかつ陰欝で、また第一楽章が緩急すべて折り混ぜた自己完結的な曲調になっており、曲全体の約半分を占めるという、きわめて特異な作りになっている。
また、マンドリン曲では珍しくシンセサイザー・バイオリンを加えることで、より多彩な表現をねらっているのも特徴であるが、名大の演奏会でシンセサイザーがまともに聞こえたためしがない。氏によれば、バイオリン部分はビオラに弾かせたいそうである。しかし、音域が高くてビオラでは不可能であろう。
第一楽章
通常、数楽章にわたる曲では、1つの楽章はある程度統一的なテーマでくくることができる。しかし、この第一楽章を何か統一的なテーマで表すことは不可能と言えよう。喜怒哀楽などという単純な四字熟語では語り尽くせない、人間の持つすべての感情が、氏の筆のおもむくままに現われては消えて行くようである。
低音の荘厳な序奏から曲は始まる。前半部では、マンドリンオケの導入を受けて、バイオリンが悲しい旋律を奏でる。バイオリンはやがてマンドリンオケに呑み込まれ、ギターによる緩やかな経過部に入る。中間部のAllegro moderatoでは、この楽章を支配するリズムが提示された後、一旦落ち着いてから徐々に高まって行き、中間部を特徴付ける寂しげな主題につながって行く。
後半部のAllegroになるとテンポが上がりリズムもより強調され、曲はより力強くなる。そしてそのリズムの間に見え隠れしていた主題が高らかとffで奏され、曲は最高潮に達する。その後、一時の喧噪が嘘のように静まり返り、前半部で用いられた主題が再び奏されて、バイオリンが悲しげな旋律を歌って終わる。
第二楽章
重い苦しみ・悩みを背負って泥沼を歩く人、鞭で打たれて三途の川を行進させられる人を暗示するような、重苦しい機械的なリズムが、徹頭徹尾曲を支配する。このリズムの上を、このような人々をあざ笑うかのように、諧謔的な第一主題と陰欝な第二主題が入れ替わり奏される。
中間部のVivoの木魚の軽い響きが、心を一瞬なごませてくれるのが、せめてもの救いである。
第三楽章
この楽章は、氏の言葉を借りれば「死に切れないレクイエム」ということである。たしかに、どこかレクイエムに徹し切れず中途半端なところもある。しかし、それがかえって氏がこの曲に込めようとした人の死にざまに対する想像をかきたてるとも言えよう。
一瞬の静けさを破るようなギターのソロから始まり、主題が提示される。ローネとチェロのソロがそれに応えた後、 tuttiで主題が高らかに奏される。一旦やすらぎを迎えるが、徐々に曲が動きだし、天の声のようなバイオリンを迎える。そして、何かに追われるように曲は激しく速度を増し、頂点に達する。
ピンと張り詰めた緊張感の中、バイオリンがもう一度現われ去った後、一転して夢のように安らかな旋律が流れる。グロッケンが響いた後、一旦曲は動きを取り戻すがすぐに力尽き、バイオリンが天に昇っていく。これで死んでしまったのだろうか、まだ死にきれなかったのだろうか。
(加藤)