Ouverture Historique

提供:帰山栄治作品解説集
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編成 演奏時間
Mn1 Mn2 Ma Mc Gt Cb 11分
演奏日時 備考 演奏団体
1970.11.27 初演 名大13回定演
1971.12.8 神戸大16回定演
1972 京都教育大13回定演
1974.12.8 神戸大19回定演
1976.12.17 改作 名大19回定演
1977.12.25 神戸大22回定演(初演版)
1980.12.16 神戸大25回定演(初演版)
1980 金沢大16回定演
1981.4.4 神戸大'81SpringConcertinTokyo(初演版)
1984 金沢大20回定演
1987 金沢大23回定演
1994.6.26 コンコルディア22回定演(初演版)
1995.12.23 神戸大40回定演(初演版)
大阪工大21回定演(初演版)
2014.6.21 コンコルディア42回定演(初演版)

本曲は、名大ギタマンの委嘱により、1970年に作曲され、第13回定期演奏会において初演された。この1970年には熊谷氏や川島氏の初期の作品も発表されており、現代邦人の幕明けの年と言える。また、氏はこの1970年より10年毎にOuverture Historiqueを作曲している(1980年に第3番、1990年に第5番)。なお、本曲は1976年に大幅に改作され、その後1978年に若干の手直しを加えて、Ouverture Historique No. 2となっている。

序奏はチェロ、ベースのトレモロ、それに呼応するマンドリン系とギターのかけあいから始まり、盛り上がりを見せた後、第1部に突入する。5/8拍子と4/4拍子の組み合わさった主題がパートを移りながら繰り返された後、5/8拍子の強奏を経て5/4拍子の朗々とした主題に移る。

やがて曲は落ち着きを取り戻し、第2部のAndanteへ入る。ドラの旋律、低音のオブリガードが提示され、様々なパートを経て壮大な盛り上がりを見せる。やがて終熄しAllegro vivaceの第3部へと突入する。しかし、その隙間に第1部の主題が顔を見せる。そしてパートを増やしつつ勢いを増し最後まで駆け抜けると思わせつつ突然第2部の主題が現われる。そして高らかに歌われた後再び第3部の主題が現われ、嵐のように駆け抜けて曲は終わる。

技術的難易度は非常に高い。また、第1部、第2部、第3部の構成も入り乱れており、(ex. 第3部の主題の対旋律に第1部の主題が使われている)、かなり複雑でわかりにくい面もある。しかし、後に整理されて作られたNo. 2と比べて、氏の若さあふれる情熱がストレートに迫ってくるようであり、それがこの曲の今日にいたる人気となっているようである。

(トマ)


 作者は1943年福井県大野市に生まれ、62年名古屋大学文学部入部と同時にギターマンドリンクラブに入部、一年後指揮者となった。その後中田直宏氏に作曲を学び、クラブ内外で編曲を含め多くの作品を発表してきた。またチルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤをはじめとして、大学・社会人のマンドリン団体を数多く指導しており、現在日本マンドリン連盟中部支部理事、東海音楽舞踊会議運営委員長をつとめる。作品は多岐に渡り、マンドリン合奏曲以外にも吹奏楽曲、邦楽曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など多くの作曲、編曲活動に携わっている。 1981年名古屋市芸術奨励賞授賞。マンドリン合奏以外ではギター合奏に継続的な作品が書き下ろされており、現在十数曲を数えている。

 作者のライフワーク言っても過言ではない「Ouverture Historique 」の系譜はまさに作者の人生そのものであり、はたまた日本国家のその都度都度の歴史的背景とその時代に生きた人すべての人生そのものとも言い換える事が出来る。Ouverture Historiqueはフランス語であるが、直訳すると歴史的序曲となり、実際にそのような名称で呼ばれることもある。しかしOuverture Historiqueの命名にあたっては、音楽上の序曲という単語だけでなくフランス語の”Ouverture”がもともともつ「切り拓くこと」という意味が意識されている事は昨年のNo.7の委嘱にあたり、作者自身が語った言葉からも明らかである。

 本曲は1970年12月、名古屋大学ギターマンドリンクラブ第13回定期演奏会で作者自身の指揮で初演されたが、1976年に大幅な改作が行われ、更に1978年にも76年版をもとに改作され、最終的にOuverture Historique No.2として決定稿を見る事となった。作者自身が「アマチュア」の作品として大幅な改訂に踏み切った事からもわかる通り、3つの異版が存在しながら、現在この版での演奏は滅多に聴かれる事はない。しかしながら本作がOuverture Historiqueの系譜の原点として多くのファンに愛され続けている事は作者の作品研究に置いても大きな意味を持つ事と言える。

 本曲が生まれた翌年の1971年8月、名古屋に置いて開催された「第7回東海学生マンドリン連盟合同演奏会」は現在に至る日本人作曲家によるマンドリンオリジナル作品を振り返る上で、史上最大のターニングポイントと呼べる演奏会であった。この年初演された作品は、熊谷賢一氏の「群炎Ⅰ」、川島博氏の「北設楽民謡~せしょ」。まさにマンドリン合奏の特性を熟知しなかった作者によって、不朽の名作と呼べる作品が全く同時に産み出された事は当時の斯界の人々には大きな驚きであったと同時に、この年代がマンドリン合奏の可能性を「切り拓く」新時代の幕開けだったと呼べるであろう。この年以降、所謂東マン合演は、さながら新曲発表会の様相を呈して行く事となる。これらの行事を勇気を持って押し進めた先達に対し、心からの敬意を評したい。ちなみに1970年は大阪万博、よど号ハイジャック事件、三島由紀夫の割腹自殺、ビートルズの解散、歩行者天国の開始などがあった年で、まさに戦後が少しずつ過去のものとなり昭和が大きく変転していく端緒の年とも言えるかもしれない。

 作品は大きく分けて3つの主題、すなわち激しい変拍子の攻撃的な主題A、優しく慰めに満ちた主題B、独特の不規則なリズムとアクセントを持つ主題Cから構成されており、前半<序奏部-A-B-A>、後半という明快な形式となっている。天地開闢を思わせる序奏、中間部で突如現れる1stマンドリンからコントラバス、マンドローネまで一気に駆け落ちる豪快なスケール、熱狂の坩堝と化して突き進む終結部などそれまでのマンドリン合奏曲では考えられなかった特徴を持っている。

 歸山作品の根底には常に、「現代社会の人間疎外の憂鬱の中で『人間の持つ宿命的な寂しさ』をしっかり見つめ、いかにして人間らしく生きるか」という命題が連綿として流れており、こうした想いが現代社会の様々な軋轢の中に生きる私たちの心を厳しく諭し、あるいは優しく包み込み、見失いがちな本来の人間としてのあり方や、未来を切り拓く姿勢を質すものとなっている。  今回の演奏の主旨として音楽において一つの時代を切り拓いた曲として演奏する以上、それは初版でなくてはならなかったと考えている。

(だーさま)


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