Ouverture Historique No. 2

提供:帰山栄治作品解説集
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編成 演奏時間
Mn1 Mn2 Ma Mc Gt Cb 14分
演奏日時 備考 演奏団体
1978.5.31 初演 名大東京公演 - 「Ouverture Historique」を改作
1981.12.5 北大58回定演
1981.12.17 名大24回定演
1983.12.3 富山大22回定演
1984.11.19 京大23回定演
1985.11 小樽商科大17回定演
1986.11.29 九州大96回定演
1986.12.17 名大29回定演
1988.12.24 神戸大33回定演
1989.12.2 和歌山大33回定演(管・打楽器入り)
1989.12.14 大阪教育大24回定演(打楽器入り)
1993.5.22 九州大・熊本女子大合演
1994.1.7 名大36回定演
1994.3.5 浪速マンドリン倶楽部
1994.12.26 岐阜大31回定演
1998.1.10 名大40回定演
1999.10.23 名古屋マンドリン合奏団41回定演
2002.6.22 "meets" 7回演奏会
2003.12.27 名大46回定演
2004.6.19 コンコルディア第32回定演
2004.12.26 神戸大49回定演
2004.11.28 カエリヤマファイナルコンサート
2011.12.28 名大54回定演
2015.9.13 名古屋マンドリン合奏団57回定演
2016.9.10 ARTE MANDOLINISTICA 名古屋公演
2018.4.21 名市大・三重大14回合演
2019.12.28 名大62回定演
2021.2.28 2020年版 ブレーメン音楽団12回演奏会 'Dirait-on'
2023.4.2 名古屋マンドリン合奏団 第36回JMU中部マンドリンフェスティバル
2023.10.1 名古屋マンドリン合奏団64回定演
2024.1.21 ARTE TOKYO名古屋公演
プロムジカ

チェロ、ベースのトレモロが、湧きだし、吹き出し、最高に達すると、マンドリン、ドラ、ギターによってそれが破裂し、一応の終止符を打つ。しかしこれは連続し、ただの単発ではない、「何か」の存在が始まりつつあることが徐々に明確になってくる。こうして無の中から生じたカオスは5/8拍子(実際には2小節が一つの流れになっているがゆえに、2+3+3+2/8拍子とでも言うべきか?)の中で第一主題となる。この第一主題は、その形を変化させながら、世界を大きく揺さぶる。世界はしかし、何とか秩序だつことに成功する。

チェロ、ベースによる導入部を経てマンドリン、ドラの二声による美しく叙情的な旋律が世界を優しく包みだす。この第二主題は3/4拍子の中を流れてゆき、静かに消える。

突然新たなカオスが現われる。そしてそのカオスに導かれて、1stマンドリン上に第三主題が出現する。再び世界は混乱を迎える。軽快な2/4拍子の中、第三主題は力強く押し進んで行き、遂には全てを統括してしまう。第二主題により平和が告げられるのも束の間、すぐに第三主題にとって変わられ、世界は強大なものへと向かい出す。Vivacissimoで劇的なリズムが激しく叩きつけられ、エネルギーを撤き散らしながら結末へと向かう。

曲は崩壊のリスクの上をかろうじて綱渡りしながら、アグレッシブに展開してゆく。ギリギリまで徹底的にばらばらになることで一つに到達したときの醍醐味は、燃え上がるものを禁じ得ない。あふれだすエネルギーの激しさは、この曲が熱いドラマであることを物語っているのであろう。

(広瀬)


 本曲は、「Ouverture Historique」と冠されたシリーズの第二作である。

 シリーズタイトルの「Ouverture Historique」(ウヴェルチュール・イストリーク)は、フランス語である。直訳すれば、「歴史的序曲」となろうか。もっとも、フランス語の"Ouverture"が元々持っている「切り拓く」という意味も込められているとのことであるから、このタイトルの含意にはさらなる広がりがある。

 本シリーズのそれぞれの作品には、内容・形式面での共通性はない。帰山氏によれば、その時点の自らの音楽感・作曲技法が提示されているとのことである。いわば氏の作曲人生の「年輪」に相当するともいえようか。

 シリーズ作品を一覧すれば、1970年に第一作である「Ouverture Historique」が作曲された。1978年に第二作(本曲)、1980年に第三作(No. 3)、1982年に第四作(No. 4)、1990年に第五作(No. 5)が発表されている。最新作は、2001年に名古屋大学ギターマンドリンクラブにより委嘱・初演された、「Ouverture Historique No. 6」である。

 本曲は、1978年に、名古屋大学ギターマンドリンクラブによって委嘱され、東京公演において同クラブにより初演された。内容的には、1976年に改作された第一作にさらに手が加えられたものである。しかし、第一作の素材は利用しつつも、構成には大幅に手が加えられ、曲の長さも倍ほどになった。氏によれば、新曲同然に生まれ変わったがために「No. 2」と番号を改めた、とのことである。

 演奏回数は極めて多く、帰山氏の代表作の一つと評して差し支えないであろう。

(広瀬:「[カエリヤマファイナルコンサート]」パンフレットより転載)




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