Ensemble ESCHUE

あしたの風

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本ページで、主宰 帰山栄治氏の随想を連載します。
ご感想・ご意見・取り上げて欲しい話題などがございましたら、eschue-request@mail.bass-world.netまでメールをお送りください。

目次

  1. はじめに・・・ (2002.10.25)
  2. 2度の時代 (2002.12.19)
  3. 感覚のスリコミ(1) (2002.12.27)
  4. 感覚のスリコミ(2) (2003.1.2)

感覚のスリコミ(2)

 学生時代、指揮者としてファルボの作品に取り組んだことがある。2回の演奏会で、ニ短調序曲を2回、田園写景、組曲「スペイン」をプログラムに組んだ。
 どうしてこんなにこだわったのかというと・・・それは、初めて「ニ短調序曲」をやった時、弾けないということで遅いテンポでやったこともあるが、とにかく、曲がよく分からなかった。だから、どうしてもファルボの音楽が分かりたかったから。こんな、普通では考えられないようなわがままな理由で取り上げ続けては、弾かされるメンバーは大迷惑ですね。今思い出しても、済まない気持ちになる。(若気の至りというやつですか・・・)

 さて、3曲を連続して演奏してみた結果はどうだったのか?
 結局、ファルボはよく分からない。その原因は「民族性の違い」ではないだろうかと、当時何かに書いた記憶がある。

 ここで、私自身の「音楽のスリコミ」経験を重ね合わせてみると・・・
 大学に入ってマンドリン音楽に接するまでは、歌謡曲や欧米の流行音楽など、いわゆる「大衆音楽」専門で、クラシック音楽と言えば、音楽の授業で「歌曲」を歌うことくらい。
 高校時代のある日、クラシック好きの友人が2,3曲お皿を回して聞かせてくれたことがあった。・・・が、ただ意味のない音が鳴っているだけ・・・

 ということは、ファルボをやっていた頃は、クラシック音楽のスリコミが始まったばかりで、よく分からなかったのも無理はない・・・?

 24歳頃から10年余り、クラシック音楽の勉強のために、様々な「名曲」を聴きまくった時期がある。作曲家は選ばない、とにかく、できるだけ多くの作曲家の作品を知る必要があった。
 つまり、自分は「今」作曲をしようとしているのだから、「過去」の音楽を作るわけにはいかない。そのためにも、「過去」から「今」に到る音楽感覚の流れをつかむ必要があった。

 歌謡曲の世界をすり込まれた感覚にとって、もっとも身近な音楽は、当然ながらロマン派の音楽。古典派のベートーベンだって、作品の持つロマン的な部分に共感。
 その後、休むことなく、現代音楽に向かって、次から次へと代表的な作曲家の作品を聴き続ける・・・ブラームス、ドボルザーク、チャイコフスキー、ドビュッシー、ラベル、ストラビンスキー、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコービッチ・・・それから、いわゆる「現代音楽」にたどり着き、ようやく、現代日本の作曲家の作品もその中に入ってくる。

 西洋クラシック音楽の「名曲」を知ることは、作曲法の変遷を知ることにもなるのだが、このほかに、予期しない「副産物」もうまれた。

 一つは、クラシック音楽の「感覚」がしっかり「すり込まれた」こと。
 ついでに、「天才」と言われる作曲家の音楽世界が「感覚」として「すり込まれた」こと。その結果、普通の作曲家の作品と天才との違いを「感覚的に」感じるようになった。
 例えば、FM放送の音楽番組で、モーツアルトが同時代のある作曲家が作った「序曲」に、序奏をつけた曲を聴いた時のこと。
 充実した深みのある序奏に続き、軽く薄っぺらいアレグロの本体。これほどはっきりと「音楽の中身」が違うとは・・・
 ちなみに、凡庸な作曲家の作品に序奏を付けたのは、モーツアルトは自分が天才だとは自覚していなかったからだという解説付きだった。

 もう一つは、演奏上の問題。
 聴いた作品はほとんどが「天才」が作ったもので、聴いた演奏は、ほとんど当時世界一流の演奏家によるもの。
 だから、「一流の演奏」、プロの演奏とはどのようなものなのか、これが「感覚」として徐々にすり込まれたこと。

 ところで、前回予告の「どんな感覚でもスリコミができるの?」について・・・

 たくさん聴いてきた作曲家の中で、感覚的に共感できるもの、知的感覚として興味を覚えるもの、それから、それらをほとんど感じないものなどがあった。
 どうやら、「感性」、あるいは、体質、生理感のような「フィルター」を通って「スリコミ」が行われるようだ。だから、感性が異なると普通は「感じない」から、その感覚はすり込まれない。先のファルボについても、これに当てはまるのではないか・・・?

 しかし、感性が異なっても、理屈としては「分かる」ということも確かにある。今では、ファルボの音楽はとてもよく分かる。彼が「天才」ではないことも・・・
(次回は、音楽が「わかる」「わからない」について・・・)

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