Ensemble ESCHUE

あしたの風

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本ページで、主宰 帰山栄治氏の随想を連載します。
ご感想・ご意見・取り上げて欲しい話題などがございましたら、eschue-request@mail.bass-world.netまでメールをお送りください。

目次

  1. はじめに・・・ (2002.10.25)
  2. 2度の時代 (2002.12.19)
  3. 感覚のスリコミ(1) (2002.12.27)
  4. 感覚のスリコミ(2) (2003.1.2)

2度の時代

 ある人、ある物の長所と短所(欠点)にどのように対処しますか。
多くの場合、欠点にばかり目が行き、それを何とかして隠そうとする。
長所にはなかなか目が向かないから、それをもっと伸ばそうとすることができない・・・

 マンドリン合奏曲の作曲を始めて、しばらくすると、当然のことながら、「マンドリン合奏の特徴を生かした作品を書きたい」と思うようになる。ここまでは良いのだが、この後に、先に述べた落とし穴が待っていようとは・・・

 マンドリンのトレモロによるレガートのフレーズを考えた時、跳躍する音程は音がつながらない、特に弦が変わる場合、更に上昇するより下降する跳躍音程・・・まず、レガートにならない。それなら、2度音程をメインにモチーフを作れば、確実にレガートに演奏されるだろう・・・ 幸い(?)、我々日本人は、歴史的に長2度の音程に慣れ親しんでいる。わらべ歌がそうであるし、今はほとんど聞くことがなくなったが、豆腐売りのラッパは「トーフイー」と歌っていた・・・

 このようにして、「2度の時代」が始まった。より正確には、マンドリンの欠点を隠そうとして「2度にこだわった時代」であった。
 これと並行して、トレモロを使用しないで表現するということも色々やってみた。しかし、これも、トレモロ自体の持つ「非音楽性」(音楽的にいやな音)という欠点を隠そうとすることが優先し、non-tremoloで表現する「音楽的優位性を押し出す」ということにはなっていなかった。

 「マンドリン合奏にギターという楽器が必要なのか」という大きな問題については、ここでは触れないが、ギターの扱いにおいても、その頃は同じような姿勢であった。
 つまり、ギターという楽器は「音量が出ない、特に高音弦」「学生などのアマチュアの団体では技術的な制約が大きい」などの「欠点」がある。それ故、これらの欠点を隠すためにとった手段としては・・・
 全体がピアノの部分で重要な役割を持たせるようにし、その部分は技術的に難しくしない。全体がフォルテなどでギターの音が聞こえないような部分では、技術的にもある程度難しくする。正確に弾けなくても全体に与える影響はほとんどないだろうという考え方。

 さて、これらマンドリンの問題にしても、ギターの問題にしても、結局は、「自分にとっていやな音が出ないようにする」という「そぎ落とし」の解決方法である。欠点を隠せば、ある程度「見場の良い」姿にはなるかもしれない、しかし、表わす音楽の世界は、小さくはなっても大きくはならないだろう。窮屈にはなるかも知れないが、伸び伸びと広くはならないだろう。

 1982年、神戸大学MCの委嘱により「Ouverture Historique No.4」の作曲に取りかかった。この時、10年近く続いていた「2度の束縛」を自ら解いてみようと、序奏部分と緩徐部分で思い切って跳躍音程を使ったレガートのモチーフを書いた。

 この作品は、「特徴と優位点」を意識的に表に出して行けば、その分「欠点」などは目立たなくなるという方向への出発点になった。そして、この後、マンドリンやギターの持つ「欠点」に対して、徐々に「やさしく」接することができるようになっていく・・・

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