Ensemble ESCHUE

あしたの風

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本ページで、主宰 帰山栄治氏の随想を連載します。
ご感想・ご意見・取り上げて欲しい話題などがございましたら、eschue-request@mail.bass-world.netまでメールをお送りください。

目次

  1. はじめに・・・ (2002.10.25)
  2. 2度の時代 (2002.12.19)
  3. 感覚のスリコミ(1) (2002.12.27)
  4. 感覚のスリコミ(2) (2003.1.2)

感覚のスリコミ(1)

 「言語形成期」という言葉を知っていますか?
 言葉や言葉に対する感覚を身につける期間のことで、大体10歳過ぎから15,16歳の間だと言われています。
 この期間は、子供言葉から大人の言葉への移行期で、自分が育った地方の方言や大人の言葉を身につけ、基本的な言語感覚が形成されるのだという。そして、一旦身につけた(=すり込まれた)この言語感覚は一生変わらずに残るとも・・・

 カラオケなどで、こんな話を聞いたことはありませんか?
 「どんな歌を歌うかで、その人の大体の年齢がわかる」と。
 ということは、ひょっとして、「音楽感覚形成期」もあるのでは・・・
 もっとも、音楽の場合は、言葉より少し遅れて始まり、期間も長いのではと、自身の経験から思うのだが・・・
 12歳頃から20代前半ではないか、あるいは、30歳頃までかもしれない・・・あるいは、一般に「青年」と言われなくなる35歳頃までかも・・・
 いずれにせよ、「スリコミ期間」は、音楽感覚がのほうが長いことだけは確かだ。

 「音楽感覚」ってどんなもの?
 「味覚」というのは味に対する感覚ですよね。ある食べ物が「好き」「嫌い」「どちらでもないが食べられる」などといった感覚。
 ファストフードなどを食べ続けることによって、子供や若者の味覚の変化が起っていると最近よく問題にされるけれど、これもすり込まれた結果? 逆にすり込まれない結果として、野菜嫌いなどになってしまう・・・?

 音楽感覚もどうやらこれと同じような現象なのかな?・・・どういう歌が好きなのか、どういう傾向の音楽が好きなのか。演歌、ポップス、ジャズ、クラシック等々・・・その人の音楽に対する「好み」「趣味」なども、同じ音楽を何度も何度もくりかえし聞かされることによって、または、聞くことによって、知らない間に耳から脳にインプットされる。

 現代の日本人は、生まれた時から「西洋音楽」のシャワーを浴び続けているから、自然に「西洋音楽」の感覚がしっかりとすり込まれているはず。だから、一般に、日本の伝統音楽などの「非西洋音楽」に対してはあまり反応を示さない。
 私は、過去に、ロシアの民族楽器合奏用に作られた作品をを何曲もマンドリン合奏用に編曲したし、中国民族楽器合奏用に作られた作品も何曲か編曲した。それらの音楽に対する、マンドリン合奏を楽しんでいる人たちの反応はと言うと・・・
 ロシア音楽(西洋音楽)のほうは結構演奏してくれた(今も演奏してくれる)のだが、中国音楽(東洋音楽)のほうは、さっぱり見向きもされなかった。

 自身の過去を振り返ってみても、これと似た反応で・・・
若い頃(30過ぎ頃まで)は、いわゆる「邦楽」を聴いても、オトが鳴っているだけで、オンガクとしては何も入ってこない、ただ「退屈」なだけ・・・
 それが、35歳を過ぎるあたりから、少しずつ音楽として聴けるようになってきた・・・これは、元々持っている「民族としての感覚」が眠っていただけなのか、それとも、「邦楽」はすり込まれなかっただけなのか・・・?

 味覚に関してよく言われることだが、「トシを取ると味覚が変わってくる」という変化も確かにある。音楽では、若い頃はモーツァルトに何も感じなかったのが、トシを経るとともに少しずつ「いいな」と感じるようになってくる。このようなことは、単純にスリコミでは割り切れないような「何か」があるのでは・・・?

 さて、音楽ではなく「音」そのものに対しても、スリコミ現象はあるの?
 「マンドリンの音はこうでなくては」と、自分が「これが絶対」と思っている「音」が、どうやらマンドリン界にはあるらしい・・・それぞれの人、それぞれの地域で「自分(たち)の音が一番良い」と主張し、「異質」の音を「それもアリ」と認めない傾向・・・
 マンドリンを始めてから何年もずっと「一定のある音」を聞いていれば、その音がすり込まれ、それとは「異質」の音には反応しなくなる、あるいは、拒絶する・・・これは当然のことなのかもしれないが・・・

 少々古い話で恐縮だが、例えば、ヴァイオリンのオイストラッフ、グリュミオー、コーガンの音は、それぞれ全く「異質」と言って良いほど違う音だった。しかし、どの音も世界の一流の奏者の「個性あるヴァイオリンの音」として一般に認められていた。
 受け取る側に「好き嫌い」があって、どの音を「良い」とするかは分かれるだろうが、しかし、「音」そのものが問題なのではなく、それぞれの音でどのように演奏する(=音楽を表現する)かが重要なことであるはず。

 ところで・・・どんな感覚でもスリコミができるの?(以下次回へ)

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